その頃の生活は、借金を返しては借り、また返しては借りる無限ループに陥り、手元の財布はいつも潤っていたものの、バックグラウンドでは利息が雪だるま式に増え続けていました。
さすがにこのままではヤバいと焦りだした私は、収入を増やすため副業を探すことにしましたが、当時、新聞や求人誌が副業探しの一般的な手段で、毎日毎日求人欄を目を皿にして探しても希望の仕事は中々見つかりませんでした。
そんな中、1985年(昭和60年)に、NTT民営化で民間企業が通信事業に参入できるようになり、これを機に私は大手電機メーカーの販売代理店を始めたのです。
この仕事は、インセンティブ(歩合)が非常に良く、月に4、5件の契約獲得で普通のサラリーマンの2倍以上稼げるのが魅力でした。
更に始めたタイミングが良かったのか(最初の種まきには若干苦労しましたが)毎月順調に売り上げを維持していました。
具体的な仕事内容は、最初に名刺とチラシを念入りにチェックして作成し、ハロー効果(肩書き・ブランド戦略・数値データの訴求)を活用して見込客を説得すれば、高確率で契約をゲット出来ました。
因みにチラシ作成は、昔からグラフィックデザインが好きだったので自力で何とかなりましたが、名刺はそう簡単にはいきませんでした。
まず、腕のいい名刺屋さんを見つけるのに苦労し、材質の良い紙の選定や版下デザイン、ロゴの制作などで何度も何度も打ち合わせてやっと完成したのです。
苦労のすえ出来上がった名刺は中々完成度が高く、受け取った相手にインパクトを与え、商談の成否を左右する「営業ツール」として心強い味方になってくれました。
しかしながら、そのスグレモノ名刺のお陰で思いもよらない新たなフェーズに突入してしまったのです。
と言うのは、新しく始めた販売代理店の営業の一環として、見込客を接待する機会がたまにありました。
接待場所は主にラウンジでしたので複数のキャスト(ラウンジ嬢)に囲まれて、お酒や会話を楽しんでいましたが、私の仕事内容を彼女達から聞かれた時、説明する代わりに名刺を渡していました。(名刺の出来上がりが非常に良かったので、多くの人に見てもらいたいと言う軽い気持ちでしたが…)ところがその後、ラウンジ嬢からの営業電話が次々に入りだしました。
それが切っ掛けとなり、元々お酒を飲むのが好きだった私は、キャストと同伴で度々ラウンジに通うようになってしまい、時には一晩の飲み代が「10万円」近く掛かったこともありましたが、いつものように「使った分だけ大きく稼げばいい」と気を取り直していました。
ただ結果的に、せっかく頑張って副業で増収したにも拘わらず、予期しなかった散財により以前にも増して債務が膨らんでいったのです。